「信じる」を考える
> 「信じる者は、救われる」とは、どういう意味か?
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> 日常あまり意識しないけれど、
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> だれであれ常に何かを信じているし、
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> 信じることで壊れやすい自我を守っている。
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> ぼくらは科学技術を信じて車に乗るのであり、
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> 運転手を信じるからこそタクシーにも乗る。
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> もしも「信じる」ということが全くできないならば、
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> 人は瞬時に絶望の闇に閉ざされてしまうだろう。
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> ところが現代は、不信の時代だ。他人が信じられない。
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> 夫も妻も、我が子でさえも信じられない。
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> 政治やマスコミはもちろん、
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> 科学も宗教も、自分自身すら信じられない。
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> だから未来が信じられない。そして不信に疲れている。
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> 確かに今の時代には不信をあおるような
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> 事件や事故、虚偽や隠蔽があふれている。
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> 人間関係のモラルも変容し、信じても裏切られることばかりだし、
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> 洗脳や盲信は最大の恐怖だ。
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> しかし、そんな時代だからこそ、素朴に「信じる」
という、 無邪気な行動の値うちが高まっているのではないか。
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> なぜならば、あらゆる問題が、
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> 最後は「信じる」ことでしか解決できないからだ。
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> 疑いは対立を生む。疑いは疲労を生む。そして疑いは
さらなる疑いを生む。
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> それに対し、信じることはそのままエネルギーだ。
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> 信じれば信じるほど、生きる力が生まれる。
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> どれだけ疑っても、疑いからは答えは出ない。
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> どのみち一瞬先は、だれにも分からないのだ。
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> 信じたものだけが、その一瞬先を切り開く。
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> 決して負けない。希望を捨てない。全員があきらめても、
一人夜明けを待つ。
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> まず自分を信じよう。
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> 自分のうちに、自らを超えた力が豊かに備え付けられて
いることを信じよう。
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> 昨日の失敗は、その力に目覚めるためだったのだ。
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> そして他人を信じよう。どんなに弱い人間のうちにも、
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> 信ずるに値する尊い魂があるはずだ。
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> 相手を疑うことをやめたとき、新しい関係が生まれる。
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> だれでも疑われれば閉じこもり、他者から信じられる
ことで開かれていく。
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> そうしてみんなで、明日を信じてみよう。
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> 信じるほどに実際に喜びが増し、信じるほどに仲間が
増えていく。
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> その事実こそが、信じる根拠だ。
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> 信じる者が救われるというよりも、信じることそのもの
が救いなのである。
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> 『星言葉』
> ISBN978-4-7896-0468-0
> 1000円+税
> 著:晴佐久昌英
> 版:女子パウロ会
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