生きるということは1度しかない。リハーサルなんかありはしない
毎日、暑い日が続きますが、御元気で
お過ごしですか?
さて、今日は、ずっと以前に雑誌「致知」に
掲載された感動の秘話をお伝えします。
ある医師が「がん」を患い、命果てるまでの
奥さんと2人のお子さんに捧げた命の絶唱――。
以下、じっくりお読みください。
富山県の砺波(となみ)という町で、
ガンで亡くなった井村和清さんである。
彼は医師であったが、
右膝に巣くった悪性腫瘍の転移を防ぐため、
右脚を切断した。しかし、その甲斐もなく、
腫瘍は両肺に転移していた。
そして昭和54年1月、亡くなったのである。
享年31歳であった。
彼は医師であったから、自分の病状をよく知っていた。
だから彼には明日はなかった。
その彼が遺書を残している。
その遺書は『ありがとう、みなさん』と題されている。
彼は2人の子供に
「心の優しい、思いやりのある子に育ってほしい」と書き、
「私は今、熱がある。咳きこんで苦しい。
私はあと、いくらもお前たちのそばにいてあげることが
できない。
だから、お前たちが倒れても手を貸してあげることが
できない。
お前たちは倒れても倒れても自分の力で立ち上がるんだ。
お前たちがいつまでも、いつまでも、幸せでありますように。
雪の降る夜に父より」
そしてまた彼は、こんな遺書も残していた。
「ようやくパパと言えるように
なった娘と、まだお腹にいる
ふたりめの子供のことを思うとき、
胸が砕けそうになります。
這ってでももう1度と思うのです。
しかし、これは私の力では、
どうすることもできない。
肺への転移を知った時に覚悟はしていたものの、
私の背中は一瞬凍りました。
その転移巣はひとつやふたつではないのです。
レントゲン室を出るとき、私は決心していました。
歩けるところまで歩いていこう。
その日の夕暮れ、アパートの駐車場に車を置きながら、
私は不思議な光景を見ていました。
世の中がとても明るいのです。
スーパーへ来る買い物客が輝いてみえる。
走りまわる子供たちが輝いてみえる。
犬が、垂れはじめた稲穂が、雑草が、電柱が輝いてみえるのです。
アパートへ戻ってみた妻もまた、
手をあわせたいほど尊くみえました」
「郷里へ戻ると父が毎朝、近くの神社へ私のために
参拝してくれていることを知りました。
友人のひとりは、山深い所にある泉の水を汲み、
長い道程を担いできてくれました。
『これは霊泉の水で、どんな病気にでも効くと言われている。
俺はおまえに何もしてやれなくて悲しいので、
おまえは笑うかもしれないが、これを担いできた』
彼はそう言って、1斗(18リットル)以上もありそうな
量の水を置いてゆきました。
また私が咳きこみ、苦しそうにしていると、
何も分からぬ娘までが、私の背中をさすりに来てくれるのです。
みんなが私の荷物を担ぎあげてくれている。
ありがたいことだと感謝せずにはいられません。
皆さん、どうもありがとう。
這ってでももう1度戻って、
残してきた仕事をしたいと願う気持ちは強いのですが、
咳きこむたびに咽喉をふるわせて出てくる血液を見て
いますと、もはやこれまでか、との心境にもなります。
どうも、ありがとう。」
日一日と悪化する病気に、もう猶予はできない。
ここまでくれば、いつ机に向かうことができなくなるかも
しれない。
とにかく『あとがき』を書くことにした。
「頼みがあります。
もし私が死にましたら、残るふたりの子供たちを、
どうかよろしくお願い致します。
私が自分の命の限界を知ったとき、
私にはまだ飛鳥ひとりしか子供はありませんでした。
そのとき、私はなんとしても、もうひとり子供が
欲しいと思ったのです。
それは希望というよりは、
むしろ祈りのようなものでした。
祈りは通じ、ふたりめの子供が
妻の胎内に宿ったのです。
妻はこれはあなたの執念の子ね、と言って笑いましたが、
私はどうしても、妻と飛鳥を、母ひとり子ひとりに
したくなかったのです。
3人が力を合わせれば、たとえ私がいなくても、
生きぬいてゆける。
妻がもし艱難に出逢うことがあっても、
子供たちふたりが心を合わせれば、
細い体の妻をきっと助けてくれる。
そう信じています」
そして、彼の死後、
「誰よりも悲しむであろう父母を慰めてやって下さい」と頼み、
「ありがとう、みなさん。
世の中で死ぬまえにこれだけ言いたいことを言い、
それを聞いてもらえる人は滅多にいません。
その点、私は幸せです。
ありがとう、みなさん。
人の心はいいものですね。
思いやりと思いやり。
それらが重なりあう波間に、
私は幸福に漂い、眠りにつこうとしています。
幸せです。
ありがとう、みなさん、
ほんとうに、ありがとう」
1人の若者が生きることの大事さを
教えてくれた生の記録である。
彼は最後の最後まで、
人間万歳を歌いあげたのである。
最後の最後まで「ありがとう」をいい続けたのである。
生きるということは1度しかない。
リハーサルなんかありはしない。
たった1度だけである。
どうか、この「生きる」ことを大事に大事に
生き抜いていただきたい。
(『致知』1987年7月号より)
⇒福祉人材の人間力向上研修