「幸せに満ちた人生の最期を迎えるために」
今日は、患者に寄り添う在宅医療を
行っている ある先生の記事ををご紹介
いたします。
人間にとっての幸せな死とは何か。
それはつまり、命ある今この瞬間を
どう生きるか
ということでしょうか。
そんなことを考えさせる内容になっています。
「幸せに満ちた人生の最期を迎えるために」
萬田緑平(在宅緩和ケア医)
※『致知』2015年4月号
連載「致知随想」より
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外科医になって2年目。
患者さんを受け持てるようになった私は、
当時一般的ではなかった余命の「告知」を行い、
患者さんと家族の意思を尊重した治療のあり方を
少しずつ実践していきました。
効率よく手術や処置をこなす同僚からは、
「病室で患者と話してばかりで仕事が遅い」などと
ばかにされることもしばしば。
しかし、私が初めて告知を行った患者である
小林和恵さんとの出逢いが、
私の心の強い支えとなってくれたのでした。
彼女は39歳と若く、3人のお子さんのお母さんでもあり、
ピアノ教師として生き生きと働いている方でした。
しかし、体調不良を訴え、診察に訪れた時には、
すでに末期のがんに侵され手遅れの状態だったのです。
私は家族の希望を支援し、余命を告知。
後に抗がん剤治療から自宅療養に切り替えた彼女のもとに、
時々様子を見に伺うなど、心のケアに努めていきました。
その際、正式に和恵さんの緩和ケアを
引き受けてくださっていたのが、
「いっぽ」の設立者・小笠原一夫院長です。
そして、私は何とか和恵さんを元気づけようと、
ある一つのお願い事をしたのでした。
「数か月後に控えた私の結婚式で
ピアノを弾いてよ」
このお願いを彼女は大変喜んでくれました。
しかし、迎えた結婚式の早朝、
夫の晃一さんから電話が掛かってきたのです。
「先生ごめん。和恵は『私の楽譜はどこ?』って言っている。
きょうは調子がよくないみたい」
和恵さんはがんの進行による
意識障害を起こしているようでしたが、
何とか式場まで駆けつけてくれ、
お色直しの際に別室で顔を合わせることができました。
そして、いつもの明るさそのままに、
「ごめんなさい、ピアノを弾けなくて!」と、
花束を渡してくださったのです。
その後、帰りの車中でそっと目を閉じた彼女は、
そのまま深い眠りに落ち、
翌々日に自宅で静かに息を引き取ったのでした。
「自分の家で、自分のピアノの前で、
ショパンを聴きながら家族に囲まれ、
眠るように逝きたい」
と生前、言っていましたが、
そのとおりの穏やかな最期でした。
そして、悲しみに暮れる私に、
小笠原先生はこうおっしゃってくださったのです。
「和恵さんは、人生の最終楽章を“自分で”書いたんだ」と。
この時の体験が私に大きな影響を与え、
手術に熟練したかっこいい外科医を目指す傍ら、
緩和ケア研究会や小笠原先生の講演会に顔を出すようになり、
45歳の区切りをもって、在宅緩和ケア医として
人生を懸けようと決意するに至ったのでした。
私は医師が勧める抗がん剤治療や延命治療を
否定するわけではありません。
ただ、あくまで人生の最期のシナリオを書くのは、
他人ではなく自分自身だということを知っていただきたいのです。
そして、生まれてきた時に「おめでとう」と言うのなら、
亡くなる時も「おめでとう」と言える世の中にしたいのです・・・
いかがでしたでしょうか。
亡くなる最後も、「幸せに満ちた」終わり方を願う・・・
そんな人生を送る為にも、毎日の日々を大切に
精いっぱい生き抜いていくことが 生きるものに
とって最も大切な事のような気がいたします。